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大和心

第618回 本田霊学の継承-92

著者:小山一夫 / 公開日:2024-11-13

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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ところで並木氏の論文に、昭和8年に出口氏が長沢翁を亀岡に招き、さらに大阪、神戸、竹田、鳥取、松江、出雲、綾部を案内したとして、その時の写真が掲載されている。この写真には出口氏、長沢翁、そして出口氏の娘婿の出口日出麿氏の姿も見える。

この昭和8年という時期には二つの意味が見て取れる。まず長沢翁と対立していた出口なお氏が大正7年に死去していること。そして第一次大本事件の決着が大正天皇の崩御により昭和2年に免訴となったこと。「惟神」に掲載されているように、長沢翁は大審院への回答で出口氏に対して厳しい見解を述べているが、中立の立場をとりながらも、一方でかなり擁護している。

霊学的には長沢翁から見て首を傾げるところも多かったと思う。だが出口氏の真摯な姿勢、そして出口なお氏との対立等で同情していた部分もあったのだろう。それが長沢翁の大本訪問に繋がったのかもしれない。

出口氏は昭和9年、頭山満、内田良平らと共に昭和神聖会を結成する。秋田清衆議院議長や後藤文夫内務大臣が祝辞を述べ、陸海軍の将校が多数出席し、政府や軍部への影響力を誇示している。当時、大本教は全国に2000近い支部を持ち、信者100万人とも云われるほどの確固たる宗教団体に成長していた。

明治維新により、神仏分離が明確になったのは大変好ましいことだが、政府は一度制定した神祇官制度を解消するなど、神社界の期待を大きく損ねていた。また、明治39年の神社合祀令は、結果的に約20万社あった神社のうち7万社が取り壊され、それに伴って貴重な鎮守の森も破壊されていった。そのような神社界への過酷な政治的逆風に、長沢翁の落胆と悲しみは計り知れないものだったであろう。そうした中、出口氏の政府や社会への大きな影響力は、長沢翁にとって、小さな神社や鎮守の森を救う希望の光に思えたのかもしれない。