此の大地を筆頭に(二)樹草(三)人、より(七)虫に至るまで大国主の大神の三元の用き、即ち呼吸(イブキ)の恩恵に与らないものは居ない。尚此の(一)-(七)の順序は、神霊の活躍致す神籬の大きさと申そうか、広さと申そうか、広大な大地に於ける神々の御活躍を第一とし、次が樹草、そして万物の霊長である人、次が農耕その他入力を助ける獣、鳥・魚・虫等何れも神の随意に呼吸(イブキ)を以て生きて居る事を示されたものである。
高山の末・短山の末に上坐して。
高山及び短山とは、山容を表現したもので高い山から短(低)い山まで沢山有る山の事を斯く申したものである。
末とは、先端、頂(イタダキ)、梢等の意であり、此処では高い山、低い山の頂上の事を申して居るもの。
上り坐して、とは山を形容して居る故に、上り坐して、お上りになられての意である。
高山の伊穂理・短山の伊穂理を撥別て所聞食さむ。
高山・短山は前項と同意のため省く。
伊穂理とは、雲や霧等のモヤモヤとしたハツキリしないさま。雲霧の立ち篭めて居る事の意で、妖魅の雰囲気と申せよう。
撥別て所聞食さむ。此の撥別てとは、掻き分ける、と同意で手の先で左右 へ分け開く、事を申して居り、神々が御手で分け開く、と設神理で現わして居るもので、勿論神威を以て汚穢が霧散致す、即ち祓い清められるの意である。
所聞食さむ。は前項に同意なので省く。
此の条は、国津神は地上の鎮座して居られる神域(磐境・霊山・神社等)から神威の輝きを以て、遮る妖魅等を祓い清めて、お聞き下さるであろう。と申す事である。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)