「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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『さて〔大本教事件に対する意見〕を終るに当って、田中初夫博士が神道宗教(同名学会)第三十七号に掲載した「神霊の系譜」の一文によっても、大本教の神霊観は夾雑物(きょうざつぶつ)を除いて本田霊学の二著から一歩も出ていないことは、彼が長沢の許にて神伝秘書、道之大原、真道問対の三書を得たとする出口京太郎の著述とやや合致するのであって、従って彼の門下たちも又出口の教を元として出発していることが解るのである。
即ち、浅野和三郎(心霊協会)、谷口雅春(生長の家〉、岡田茂吉(メシヤ教〉、中野与之助(三五教)、岸一太(明道会)等はその流れと思われる。外に友清九吾(歓真)は長沢門に暫らく遊んだ後大本教創設の頃、出口を援けて浅野と共に大本神学樹立に最も力を致したが、大正八年頃には分れ去って格神会を組織し、昭和二年には神道天行居を創始した。友清は長沢門に遊んだ時期は永くなかったがジャーナリスト出身にて資料蒐集に長じ、本田霊学に着目しその研究のために 本田門下を歴訪して遺著残簡を集めてあまさず、本田を先師などと呼んでいたが、彼の神霊観の源はここにある。
右にあげた人々は大正・昭和期に於て活動し、戦後に於ても教を拡めている人々もある。更に長沢門に出でて大本教とは関係なしに寧ろ絶対反対の立場に立って大正時代に活躍したのは 九鬼盛隆であって、本道宣布会を組織し、月刊「本道」を刊行した。九鬼盛隆には友清歓真が大本教を離るる前後に於て協力したことがあった。併しそれらに就て記すことは主題でないから省くことにする。』(『本田親徳研究』)