「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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出口氏は終生長沢翁を慕っていたが、霊学に対する考え方、取り組み方は、長沢翁と明らかに異なっていた。
『本田親徳先生や、長沢先生の帰神法と曰ふのは、第一に幽邃の地と閑静の家を撰むと曰ふ事になって居ります。本田先生は深山幽谷で修業をなし、田舎の寂しい一ツ家とか、奥深い神社などを選むで、最上の修業地とされて居る。是は従来の行者なぞの行り方である。大本の霊学は、神界から定められた霊地、下津岩根の地の高天原で修業する事であるから、何程喧しいでも、人家密集の場所でも少しも構はぬのである。又た一切の妄想を除去する事が一つ条目になつて居りますが、到底深山へ入つて見ても、妄想を除去する事は、肉体の在る限りは無理な注文である。不可能である。何人が実験されても、吾人の説が首旨〔肯〕されるのである。其の妄想を除去する迄に神人合一を行のが大本の霊学である。
又た感覚を蕩尽し意念を断滅するのが一の条目であるが、是も到底肉体の生命の在る限りは、感覚を蕩尽し、意念を断滅する事は無理である。否な不可能である。大本の霊学は決つして感覚を蕩尽したり、意識を断滅せしめたり、左様な妖術的な事は神界が許さぬ。大死一番の境とか良く云ふ事であるが、意志の薄弱な人で、無智蒙昧でなければソンナ状態に為る事は出来ぬ。人格を失つたもので無ければ、到底実験上本田先生や、長沢先生の行り方は駄目である。中には特殊の人に右の様な状態の現はれる事は在つても、一般的には行かぬ。或る特殊の人物に限つて出来る神術なら、是を社会へ布衍する資格の無いものであると思ふ。