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大和心

第637回 大祓祝詞を考える―56

著者:小山一夫 / 公開日:2024-11-24

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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『本 文

六、此く所聞しては、罪と言ふ罪は在らじと。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)

(注)「読み方」では、現代語訳として「このようにお聞きくださってしまったら、すべての罪という罪はないだろうと」

(注)「祝詞新講」では、「かくの如く聞しめしたならば、罪という罪の限りは一切残らず消え失せるだろう」

『〔解 説〕

○此く所聞しては、

此く、とは太祝詞を以て人(霊止)が真心を示せば、天津神も国津神も活躍される。との「此く」であり、所聞しては、とは人の願いをお聞き入れになればの意である。

○罪と言ふ罪は在らじと、

罪とは、天つ罪、国つ罪、許々太久罪。穢・禍等忌むべき凶事の事で前項に細別したものが代表的な罪械れとなって居るものである。

罪と言ふ罪は、との上の罪とは、祈願する人が祓い清めを行って欲しいと希望する罪穢れの内容を含んだ罪と申せよう。下の罪は上段の罪を肯定したものと云える。

在らじと、とは「非ず」の否定語の「ず」を「じ」と意義を強調させて申せしもの で、在ることはない、存在しない。との意である。

此の条は、太祝詞を真心を以て奏上致せば天つ神も国つ神も「祓い清め」の神威を発揮されて、罪と云う罪 (所有(アラユル)罪)や穢れを消滅為される。と云う事を申して居るも のである。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)