以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。
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『〔解 説〕
○科戸の風の天の八重雲を吹放つ事の如く。
科戸の風とは、「風の神、志那都比古・志那都比売の御活動に因る風なり」と神界の御教示を得て居るものである。此の風神の御名は古事記〔神々の生成〕の件に、『既に国を生み竟(オ)へて更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は、大事忍男神。云々(中略)、次に風の神名は志那都比古の神を生みたまひ、以下略』と現わされて居り、是について本田翁は次のように解説されて居られる。
風神志那都比古、志那都比売の御名で活躍されて居る風なるものは、大地初生の時より一日片時も風の無い事はないものである。比の大八州国を生み竟へ給ふまで、如何して風のない理(コトワリ)が有るであろか。此の神の事は 修理固成の大詔(オオミコトノリ)を受けさせ賜ふ時から確在して居た事は勿論なことである。
風は伊邪那岐の大神の御息より発するものと致すならば、凡人の息も即ち風であって、音声を発し、語言を成すのも皆此の神の御魂を蒙って居るのは言う迄もない事であり、此の息を身に持つ間は生きて居ると云う事である。「息(イキ)」と「生き」とは同言であり、「命(イノチ)」と云うのも「息内(イキノウチ)」と云う事であろう。死は息去る事である。