「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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『稲葉翁は宮城島氏に懸られた右の二柱の御眷属につき、種々詳しく霊術の御指示を受け、「霊縛法」に就ても特殊な方法を大天狗様より援けられた。之の術は現在筆者に伝わっている。大天狗様は非常に磊落(らいらく)豪快な御方であられ、憑依される時も他の霊より強く体を切られた。他の憑霊(高位の正霊)は笑顔など絶対に致されぬが、此の方だけは懸られると豪快に大声を上げられ、「ワッハッハッハー」と笑われて懸ることがあったと稲葉翁が語られた。これはこの霊と翁が格別親しく終始接触されて居られたので、その親近感より特別な態度を御示しになられた事と思われる。なお大天狗様の懸られた時、霊縛の稽古に翁が取かかると「ヤレヤレ又縛られるのか」と申されたり、又「さあ今日は縛られぬ裡に早く帰る事にしよう」などと申され、らいらくに御笑いになって昇霊なされる事が有ったと、此れも稲葉翁談である。 (余録六〉
明治二十八年頃、宮城島氏に猿田彦大神が御懸りあり「御穂神社千年来の積りし穢れあり、今日はそれを祓い浄むべし」と仰せられ、社務所より拝殿に向って舞うが如く飛びゆき、何所よりか祓串を手にされて、神殿、社務所等を御修祓なされた。此の時神殿社務所を往復されるに宛ら宙を馳せる如くで、その一足毎の歩幅は約九尺に一歩ずつであったという。猶その時の祓串は針葉樹の如くであり、一見松に似るも未だ見たことのない植物であり、その木は根つきのままで土が附いて居ったとの事である。なお又、その木につけてある紙垂(しで)の形は誰にでも切る事能わざる程の寸法で、正確整然として居り、此の切り方は如何なる鋭利な刃物を以てしでも、人間にては到底切れ難いほど巧みな裁断であったという。翌朝この祓串を羽衣の松の海岸へ納めた処、海中に投入れると直ちに消えるが如く見られなくなったので同行の人々は其の神威の程に驚愕したと調われている。 (余録十〉』(『本田親徳研究』)