〇道と神とは一なり。孔子の言は道を離れざれば、則ち孔子の言は神を離れざるなり。道なる者は須臾(しばらく〉も離る可からざれば、則ち神なる者は須臾も離る可からざるなり。
そこで天地人を貫く道とは神の活らきである故に、人道を行なうことはそのまま天道に貫通するものであって、そこに人の使命の自覚が将来されるのである。人は何の為に生存するか、道の大原や真道問対に於いては、人を神子と云い、又神の意して作れる者と云い、その直霊はよく道を知り死して之を守る点に他の禽獣と異ることを教えている。則ち地上に道を布く使命、先ず人類をその使命に自覚せしめ、之に秩序を与え、及ぼして動植山の世界に新しき秩序と開発共栄の実を挙げしめることである。即ち日本神話に伝うる漂える国を修理固成という天つ神の切実な希みの下に使命をもって生みなされた人故に、神ながら道ながら私心なく努めねばならないと云うにある。即ち惟神の精神に至る為に教を布く必要があるので、人の心は転変限りなく、ややもすれば体慾に制せられ一魂に偏して禍津に堕り易きもの故に、ねんごろに教えて不動の信念に到らしめる為には、鎮魂を基本としてよく神与の直霊を開顕せねばならぬと説いた師説を開陳するに当って、副島は儒の教に依って説いたのであるが、それは彼自身の学問の基礎を為したものであり、又当代倫理の根幹であったのである。但し儒教と雖も孔子の教以前に依ったものであった。
道に関しては本田親徳著霊魂百首の巻頭に特に「道」と題して十詠を掲げていることは已に著しいことであるが、他に「詠道」の長歌一首があって、神理と現実の在り方の結合を端的に且感動を以て表現している点が注意せられる。(全集三八八頁所収)
〔註一〕「大本教事件に対する意見」所収本田親徳著難古事記二冊、古事記神理解一冊、と冊数であらわしたのは不確かの感がある。難古事記は十巻、古事記神理解は三巻である。』(『本田親徳研究』)