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大和心

第673回 大祓祝詞を考える―64

著者:小山一夫 / 公開日:2024-12-22

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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『〔解 説〕

○遺る罪は在らじと祓へ賜ひ清め賜ふ事を、

遺る罪は在らじと、とは前項まで罪穢れ有るものを種々な処の祓い清めを行って来たが、尚遺った罪が在っては困るので、遺った罪が完全に消滅致すように、との意である。

祓へ賜ひ清め賜ふ事を、とは神界の祓い清めを担当して居られる神々に活躍して戴く為に「賜ふ」と尊敬語を使ってあるもので、遺る罪を消滅させる為に祓い清めの御活躍を、とお願いの言葉である。

本田翁は、古事記〔身楔〕の件にある、

伊邪那岐の大神の詔(ミコトノ)り賜ひし『吾は御身(オホミマ)の祓せむ』とある 「祓い」と云う事は、乃ち神界の刑法にして、現政事に法律がある如きものである。此の神律には五段の区分があり。譬えば次の様に、㋩㋬㋪㋭㋫と幽音廿五音の中央にある言葉を使用して居る。

祓ム ㋩スル 祓㋬バ ㋬ド 祓㋪セナ/テ/ツ/キ/ケリ 祓㋭オ 祓㋫ナ/カナ/ヘシ

是は皆清音を以て祓いをする業に掛るものである。之をザルと濁って発音するときは罪穢れを祓ハザルと相成って罪ある魂となり、神界へ引出されて神の審判を受ける原因となる。謹むべし畏るべし。又心の内と体外の祓いに五法あり。其れは心の祓いには恥・悔・省・畏・覚の五情があり、体の祓いに薬・浴・防・棄・避の五術がある。皆神の賜える人の良心にあるものである。人々其の心に必ず五情を備えないものはない。五術を行なわないものはない。若し此れに背いて行なわない時は、必ず幽冥の審判を受けるであろうし、また受けなければならない事である。

右のように解説されて居られた。祝詞文のテニオハを確かに古くから清音が用いられて居り現在に及んでいる。清音で無ければ神界に通じないと申す事を本田翁は示したものである。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)