神道と日本の記事一覧

大和心

第682回 大祓祝詞を考える―65(1/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2024-12-28

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

******************

『○高山の末・短山の末より、佐久那太理に落、多岐都速川の瀬に坐す、瀬織津比咩と言ふ神、大海原に持出なむ。

高山の末・短山の末、については前第五本文解説のとおりにつき省く。

佐久那太理に落、多岐都速川の瀬とは、水の流れる様子を現わしたもので、高い山或は低い山の頂きから流れ出た一滴(ヒトシズク)の水も、次第に水嵩を増してせせらぎに集まり渓谷の急流に至り谷間の岩石に激しくぶつかりながら流れ多岐津(水が激しく逆巻いている様)激(タギ)つしながら流れの早い川の瀬に至る。と云う水の流れが大地の自然に高きから低きに運ばれる姿を表現して居るもので、是は勿論設神理であり、罪穢れも知らず知らずの裡に積重ねられるであろう事を水に託して示してあるものである。

瀬織津比咩と言ふ神とは、多岐津速川に坐す神として、高山の末・短山の末から運ばれて来た罪穢れを大海原まで持出なむと次に出現される速開津比咩と言ふ神の坐す所まで運ぶと云う役目をお持ちの神であると現わしてあるが、此のお名前は瀬を織るが如く、即ち山間を流れる瀬(浅瀬)は何れも曲がりに曲って居るものであるから水の流れる姿は物を織るように見えるであろう。此の様な様子から瀬織と名付けたものと解するものである。津のツを本田翁は、ツは漢土の運の字の義にて、運ぶである。所謂水は体運(ミツ)の義、露(ツユ)は運動(ツユ)(動はユルグの意)の義の如く皆運動の意ありと述べて居られる。