以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。
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『祓戸の大神は四柱に分かれて活躍されて居られ、それぞれの部署でそれぞれの祓い清めを行なって居られる。先ず瀬織津比咩の神は高山の末、短山の末から激しく流れ落ちて、岩に当り、激突し合って早い速さで川を下る所に在る瀬に居られる神で、大海原まで運ぶ事を担当して居られると表現されて居る。此の水の流れの勢いが祓い清めの動作であって、人が祓いを祈願致し神々の祓いが実施される節々には必ず即座に罪穢れを断切る、消滅させるべき勢いが示されて居るものである。
此の瀬織津比咩の神が水の流れに乗って来た罪穢れを、其の儘、大海原迄運ぶのであるとしたら、祓いを行うべき仕業を成す事なく運ぶのみの神であり、祓いの威力ある神の存在が疑われることになるであろう。是は水の流れの様子が一日で分かる川で表現致し、祓う勢いを激しい流れに託して、瀬織津比咩の神の威力を示したものと解するものである。
此の川と表現してあるのを「気の道なり」と、又大海原の海も「祓いの庭なり」と 神界では申して居られる。
気の道なり、とは簡単なお示しであるが、其の意のある処は奥深いものがある。第一本文の解説で述べてある通り゛気゛は、去来地気(イザナキ)の゛気゛であり、天地精霊の気、即ち神の事を申して居る。道とは、真道(ミチ)にして神の道(神業)の事である。此処では瀬織津比咩の神の祓いの神業が該当するものと申せよう。
大海原の海は「祓いの庭なり」との仰せは至極尤もな御教示と申せよう。何故ならば、祝詞文その儘では大海原に於いてのみ祓い式行事が行なわれて居るように見えるが、実は地上何所でも行なわれて居るものである。祓いを行なう場所を「庭なり」と申されたのもこの故である。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)