「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

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本田翁の復興した霊学は本来皇室の秘儀(幽斎)である。古代は天皇と皇后が主体となり、建内宿禰(武内宿禰)や中臣烏賦津使主ら側近を伴って、公式幽斎の形式で行われていた。その後残念ながら、宮中での幽斎記録は見受けられないが、明治12年(1879)副島翁が天皇の側近となった時、当時57歳だった本田翁は本来の幽斎が宮中に復活することを期待されていたことだろう。
副島翁が明治天皇にどこまで本田霊学を伝えることができたかはわからない。だが天皇御自身が師と仰ぐほどの深い信頼関係があったわけだから、副島翁の思想はかなり伝えることができたのではないだろうか。
『卿は復古の功臣なるを以て朕今に至て猶其功を忘れず、故に卿を侍講の職に登庸し、以て朕の徳義を磨くことあらんとす。然るに卿が道を講ずる日猶浅くして、朕未だ其教を学ぶこと能はず。比日来、卿病蓐に在て久く進講を欠く。仄に聞く、卿侍講の職を辞し去て山林に入んとす。朕之を聞て愕然に堪へず。卿何を以て此に至るや。朕道を聞き学を勉む、豈一二年に止まらんや。将に畢生の力を場さんとす。卿亦宜く朕を誨へて倦むこと勿るべし。職を辞し山に入るが如きは朕肯て許さゞる所なり。更に望む、時々講説、朕を賛けて晩成を遂げしめよ。
維新の功臣として遇し、今後も侍講として自分を教え導いて欲しい、という宸翰を受け取った副島の感激は想像に余りある。副島は、四月二日に参内して天皇に拝謁し、二十日から進講を再開した。』(「副島種臣」佐賀城本丸歴史館)