以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。
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『〔解説〕
○此く持出往(モチイデイ)なば、とは大海原に持ち出された罪穢れが来たならばの意である。
○荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す、
此の項では、荒塩の塩。八百道の八塩道。塩の八百会と、塩には荒の字を冠して荒海に於ける潮(ウシオ)の勢いを表現致し。八百道と極めて多くの道に乗って走る沢山の塩(海水)の潮流が激しく白い波頭を立てて飛沫を上げて居る状態を彷彿させた表現は、何れも祓い清めの勢を示すものである。
塩の八百会、とは塩(潮)が沢山集まる所の意である。
○速開都比咩と云ふ神。
此の速開都比咩の神は、古事記〔神々の生成〕の件に、『次に水戸(ミナト)の神、名は速秋津日子の神、次に妹速秋津比売の神を生みたまひき」と、河口など、海に対する出入口の神として、速秋津比売の神の御名が見える。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)
(注)「祝詞新講」では、「速開都比咩」を「古事記の二神の神生みの段に、水戸の神なる速秋津日子神及び速秋津比賣神とあるのと同神で、「速 」は迅速の意であり、「開」(秋 )は明の義で、穢を祓ひ清めて明く清くする神徳に因る名である。此の神を水戸の神としたのは、水戸は河口又は海峡を意味するのであつて、上代人が禊を行つた処である。記傳には、速開都比咩神を伊邪那岐神の御禊の段にある、伊豆能賣神に當る神とし. 「伊豆」は「巌瓮(いつべ)」「巌橿(いつかし)が本」などの厳の義(齋み清める意)で、汚穢を滌(すす)いで明く清くなる意の名であると解釋して居る。なほ後釋に、水戸の神と傳へられている速開都比咩神が、祝詞に潮の八百會に坐す神となつてゐる理由に就いて、潮の八百會は此の顕國の海上の堺で、根國即ち黄泉國の方へ潮が巻き込む門口であるから、やはり同じく水戸であると云つて居る。」
(注)「善言美詞」では、『「古事記」に「水戸神、名速秋津日子神、次妹秋津比売命」とあるがごとく、河海の要所を受持って働く神』