以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。
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『○持可々呑てむ。とは瀬織津比咩の神が運んで来られた罪穢れを速開津比咩の神が、其の御名の通り口を大きく開いて可々と音を立てて呑んでしまう。との意である。
此処で活躍されて居られる速開津比咩の御名は速く・開く・運ぶ(津)と申す、激 しい動詞が用いられて居り、祓い清めに罪穢れを消滅させる力が働かなければ成らないものである。荒波の激しい所に坐す神であれば流れ来る罪穢れを祓い清め(可々呑てむ)の神業を以て消滅させる威力ある速開津比咩の神の御功績を示されて居るものである。
○此く加々呑てば、とは速開津比咩の神が流れて来た罪穢れを呑込んでしまったならば、の意である。
○気吹戸に坐す気吹戸主と云ふ神。
気吹戸、とは息吹く所と解されて居り、気をイと読ませて居るが、イは息(イキ)。キは気(イキ)にして息の本なり、として同義とされている。
神は固より呼吸す、故に万物呼吸(イブキ)せざるなし。と前項にも引用致したが、罪穢れを祓い清める為に気吹戸主と云う神の゛気吹く御力゛の御活躍をお願いしたものである。
気吹戸主の神の御名は、気吹く所に坐(イマ)します゛主゛であると申す事である。此の主(ヌシ)の語を本田翁は「根知(ネチ)」の義であると申して居られ、根とは息満ちて正マサに吹開くを待つ、の意、知はチで力の意。即ち気吹の力を溜めて、力強く気吹き、罪穢れ、凶事を吹き放ち除き去る神と申し上げるものである。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)