戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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佐藤卿彦先生について
佐藤先生の帰幽後に出版された「佐藤卿彦先生遺稿遺影集」に先生自筆の経歴書が収録されている。これは佐藤先生の所持されていたものである。
『顕神会長佐藤卿彦経歴
幼時は身体虚弱な為に、父母の養育は大変なものであつた。医師に何回か見離されるに依り、母の信仰祈願にて健康を保った事と惟う。この故か宗教心というものを幼時より培はれ育成されてきた。その為にか霊能素質が幼少より具備され又、霊感霊的作用等を発揮すべき体質に生れ替ったものとも云へよう。父親に九才の時に死別したが、既に以前に其れを予知して居つたとの事である。少年期に長ずるに及び、此の霊能の為に、各種の行者とか修験者風の人々より是非後継者にと懇望された事も再々であつた。
昭和五年(十五才)頃、津村豊如氏という伏見の稲荷神社の講社を開いて居り、なお、神道十三派中、神習教に附属していた人が有った。此の人に就て種々話や修業法などを聞いた。後程気付いたが此の人の方法は両部神道であつた。此の時期には正直な処神佛の区別は判然として居らず、したがつて霊界の組織等に就いては全く智識が無かつたのである。此の時代は信仰とか宗教研究というものよう、専ら自己の霊力の発顕を目標として主力をそそぎ、各種の研究に眼を向け始めたものである。霊的研究の書籍を乱読したのも此の時期である。当時発行された浅野和三郎氏の「神霊と人生」なども読み、なお霊媒に関した書物もよく読んだ。此の頃も先天的と云うべきか、霊感による予言的事柄が、大分適中率が多かつたので、種々用件を持込まれて解決した事を何件か有つたが、今考へると一種の憑依現象の為であつたと思う。