長沢翁御死去以前、昭和十一年一月、翁の奉仕されている清水市下清水に鎮座せる、月見里神社の附属講社を設立し、霊学の道を一層盛大に拡め、且つ鎮魂法、帰神術に依りて、世に悩みある人々を救うべしとの命を受けた。ここに於て稲葉先生と相計り役員諸氏をきめ、稲葉翁を顧問となして、昭和十一年九月十六日に長沢翁御臨席の元に、講名を、顕神会と名のり発会式を執行する運びに到つたのである。此の顕神会なる名は長沢翁が日本書紀の中にある「又猿女君の遠祖天鈿女命…顕神明之憑談す」此れより採られて御選名下されたので、最も記念すべき事ひくめる。
尓後、両翁の御遺志に依り神道の本源たる鎮魂法、帰神術の神術と学説とを指導して居る傍ら、霊術によって各種の事柄の解決等を行なつて来ている。なお長沢、稲葉両翁逝って二十余年、両翁の門下数多ありしも現今は殆んど故人となり、正統なる霊学神術の失せるのを惜み、本田霊学を後世に残して置くべく、此の霊学の一端と神法修法に関する本「古法式鎮魂法、帰神術」なるものを著述した。斯道を歩む後学の人は、此の著書によって椑益される事もあらんかと惟う。故に一読して其の蘊奥を探られよ。
昭和三十七年四月一日
顕神本曾 佐藤卿彦』(「佐藤卿彦先生遺稿遺影集」)