著者の鈴木重道氏の祖父君は、本田親徳翁の晩年の御門下、即ち吾師長沢雄楯翁と同門である。本田翁は、当時の静岡県知事奈良原繁氏(明治十六年十二月十三日より十七年九月二十七日まで在任)に同郷の好誼もあり翁の深遠なる学説を奨励せしむべく招聘され、約ニケ年程学延を開かれた。当時翁は静岡県志太郎岡部の神神社に寄寓されて居られ、清水市の御穂(三保)神社にも出講され、故友の同市入江新富町の稲葉家にも適宜宿泊されて居られたと仄聞する。 翁の著書の大半は神神社に於て著述の完成を見たのであろう。翁の御霊はその愛蔵せし鎮魂石に移霊されて同社の社務所内の神殿に鎮まられて居られる。
鈴木氏は、曽て朝鮮神宮、平壌神社、伊佐須美神社等の各大社に奉仕され、その間祭務官の要職にも任ぜられた。現在は北海道余市町の明治神社に奉仕されている。氏は万葉の研鑽に造詣深く、博雅にして格調高き歌をものし、歌人としても既に名声高き方であるが、先に「道の友」会なるものを創立して、家伝の本田翁の各著書を道に志篤き士に配布し翁の高速なる学説を神道界に齎(もた)らすと同時に、その啓蒙に尽力されしことの功績は洵に絶大なるものと云える。氏は予の門に入られては居るが、既に本田学説の大本は会得されている。併し翁の深淵なる学術は唯文章上の解釈のみでは其の深奥を解読する事は出来得ざるを熟考し、鎮魂法の妙境を修め得て神明に交流し、而して著書の解明と、幽冥界の組織とを探究せんものと折角努力研鑽中である。やがて近き将来に於て氏の奇魂の発現を見て、その立場において周到せる学術を顕出し惟神の道法の優絶せる所以を発表されん事を庶幾うものである。
一本の道、この一本の道を歩一歩と休むことなく留まる事なく辿り行けば何日の日かは必ず吾霊魂が神霊に接し、神と共に物語りをなし、神と倶に歌うの境界に到達するものと惟う。この著は皇法を学ぶものの最良の指針であることを読者諒とせられよ。謹みて序す。
昭和四十五年弥生 顕神本会々長 佐藤卿彦』