『ただ鎮魂の法も帰神の術も、之は意義が一応わかったとしても、実際に専修を重ねませんと如何ともなりませんので、理論は絵に画いたお鏡餅の様な云わば雛形であります。近頃では瀬戸物で綺麗に作ったのがありますが、まあそんなものであります。どこまでも実修によらねばならないので、まして帰神の術、特に他感法につきましては、たゞ専修をつみ重ねての上でなくては如何ともなりません。それさえもその職掌の大神に許された方でないと出来ないと存じます。併し勤めて止まず、真心を以てすれば神感を授けられ、又自感法を体得せられるに至るでありましよう。併し方向を誤ってはそれさえも六敷しいかと 存じます。よき師に就き、正しき教導によって進む外はないものであります。』(「一本の道」)
『それさえもその職掌の大神に許された方でないと出来ない』という部分だが、これは真実である。つまり神界の許可がなければ、神人合一はできない。つまりどんなに鎮魂法や帰神術に励んでも、その目的を果たすことができないということだ。
『併し勤めて止まず、真心を以てすれば神感を授けられ、又自感法を体得せられるに至る』については同感である。至誠通天という事だろう。