戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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『それが神命を承けて全国諸大社に幽斎を行ったはじめであります。何故に氷川大社が択ばれましたか。その後国々の一ノ宮の御社に於て次々に公式幽斎が行われて参りましたが、氷川だけは初めの頃数回、後も年に一度新嘗祭の前夜行うことに神定されて居ります。幽斎はカクリイハヒでありまして、多く深夜に奉仕いたします。何故に氷川だけがかく屋々行う様に詔命が下るのか、凡下の我々にもその意味は仄かに窺い得られる思いがいたします。それは皇居のあります武蔵国一の宮であるからであります。この大社を拠点として全国の諸大社の幽斎が展開いたします意義が存すると存じます。』(「一本の道」)
明治元年、埼玉県の大宮氷川神社(武蔵の国一之宮)は勅祭社と定められ、明治元年と3年に明治天皇御自身が御親拝された。その後、この社は宮中の四方拝で遥拝される神社の1つとなる。ご祭神は、須佐之男命、稲田姫命、大己貴命。社伝によれば、第5代・孝昭天皇3年の創建という。この氷川神社は皇居と天皇陛下の霊的な守護を担われている。この社の氏子総代であった高窪教授が佐藤先生の門弟であったことも神慮だったのだろう。