私がはじめてお許しを得まして、氷川大社の幽斎に参列いたしましたのは、昭和四十二年秋十月の公式幽斎でありまして、列外のはるか下座に浄衣にて侍らせていたゞきました。遠き世の古典に記されてありましたが、その帰神の幽斎が今の現に、目の前に行われていることに何とも申上げようもなき驚異と感激とに打たれましたが、その夜の心境と浄間の中に窺い得ました事どもを、今春出版いたしました回顧反省録の「一本の道」の末尾に、お許しを得て記してありますので、縁あって手にせられる方はお読み下さる様に願います。
とに角私の参列をはじめて許されました頃は、公式幽斎が已に進行中でありました。そして今日まで奉仕いたしましたのは、氷川大社を除いて、広田神社、長門の住吉神社、出雲の熊野大社、大神神社、塩釜神社、三島大社、香取神宮、鹿島神宮、諏訪神社、宮崎神宮、大山祗神社、熱田神宮、大和神社、宗像大社、霧島神宮、春日大社、耶智大社、賀茂 御祖神社、等十八社に及んで居りまして、猶今年下半期は已に神命によって奉仕いたしますお社が定って居ります。』(「一本の道」)
公式幽斎の最後は、伊勢神宮(正式名・神宮)の内宮との御神示であったが、これは佐藤先生の御存命中にはかなわなかった。いつの日か実現することができればと思うが、神社本庁等の支持を得ても実現しなかったので、極めて困難だと言わざるを得ない。