1911年:奄美周辺(M8.0)。1923年:関東大震災(M7.9)。1933年:三陸沖地震(M8.1)
1944年:東南海地震(M7.9。)1946年:南海地震(M8.0)。1952年:十勝沖地震(M8.2)
1960年:チリ沖地震/大平洋側で大津波。
1994年:北海道東方沖地震(M8.2) 1995年:阪神淡路大震災(M7.3)
本田翁は1857年頃に霊学を大成させるが、帰幽された1889年迄の32年間、M8以上の地震はやはり一度もない。副島種臣翁が本田翁に師事したのは維新(1868)後のこと。西郷隆盛の紹介による。副島翁は1871年(明治4年)に外務卿となるが、宮中に関係するのは1879年(宮内省一等待講)からで1887年の宮中顧問官を経て、1888年枢密顧問官になる迄の11年間、明治天皇の傍らにいた。ではその間どうだったのだろう。
1854年12月23日東海地震。同年12月24日南海地震。次は1896年三陸沖地震。/本田翁(1889没)。つまり本田翁体制後から、副島翁が侍講局総裁(天皇の側近)を辞去するまでM8以上の地震は起きていない。
古事記や日本書紀の幽斎記録はすべて天下国家に関わるもの。故に「皇法」という。本田霊学も又、本来の在り方は天下国家そして地球レベルであり、個人の悟り等を目的としていない。個々の悟りは、大義、天命、神命等に向かって努力精進する過程で、当然の様に訪れるものと解釈される。国土の祓い、そして大自然の祓い。幽斎の大義はそこにあるとも言えよう。