以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。
******************
『〔解 説〕
○此く失ひてば、とは祓戸四柱の大神等の神威に因って罪穢れが消滅致したならば、の意である。
○今日より始めて罪と云ふ罪は在らじと。
今日より、とは今日明日の今日では無くして祓い清めが終了致した時、即ち罪穢れが消滅した只今と申す意であり、今日と申したのは言葉の文(アヤ)と申せよう。
始めて罪と云ふ罪は在らじと、とは罪穢れが消滅したその時を「始めて」と表現したものであり、其れに因って罪穢れの全部が消滅致した、無くなった事を。の意である。
○祓賜ひ清賜ふ事を、天津神、国津神、八百万神等共に聞食せと恐み恐みも白す。
祓賜ひ清賜ふ事を、とは大祓詞に因って天津神、国津神、八百万神等の御活躍を得て、諸々の罪穢れを祓い清めて戴き、然も消滅して下された此の行事を、との意である。
天津榊、国津神、八百万神等共に聞食せと恐み恐みも自す。
此の条は天津神を始め八百万の神等迄の神々に罪穢れを消滅して戴いた感謝の意を込めて奏上致す人(霊止)がお礼を申し上げる処であり、前にも申し述べてあるように、此の祝詞文を奏上致すのみで神々の御活躍を得られるものではなく、飽くまでも、三元 (霊・力・体)が揃わなければ、神々の霊力のみでは威力は発揮されないもので、体の有る人が神々の霊(ヒ)を受けて所謂受霊して行なう事、是が有って初めて効力あるものとなるのである。
本文の祓い清めの段に祓う力、祓う勢いが要求されている事を、其の都度、申し述べてあるが、其の処に於いて神々の御活躍を促すものは受霊致す人の霊力が正神界の神々に受入れられる程のものが有るか否か。であろう。
本田翁が復興された「古法式鎮魂法」を以て培った鎮魂力に因って初めて神々が御満足されて受霊に応じて戴けるものと述者は確信して居るものである。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)