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大和心

第752回 本田霊学の継承 戦後編-20

著者:小山一夫 / 公開日:2025-02-20

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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神社では通常正式な祓いの神事は御祈願等の度に行うことはないが、神前以外の場では、大麻の前で「降神祝詞」を奏上し、神事の最後に「昇神祝詞」を奏上する。つまり祓戸大神の御降臨を祈願し、大麻を依代(神籬)と化し、それを以て修祓をするという流れになる。

昇神・降神の際に警蹕が用いられるが、それぞれ発声の仕方は異なる。以下は修祓祝詞の例。(神社本庁編の諸祭式要綱によれば、神名の部分は目的別というか祈願する神の名前に変更する)

「掛けまくも畏き祓戸大神、この神籬に天降りませと恐み恐みも白す」【降神詞】

「掛けまくも畏き祓戸大神、本つ御座に還りませと恐み恐みも白す」【昇神詞】

つまり顕斎では儀式の一環として行うことで昇神・降神ができたものとするが、鈴木氏は「霊力なき人が形ばかり大麻を振っても穢れはとれない」と断ずる。確かにその通りだが、至誠通天の神職もおられるので「例外はあるが」と文頭に置くべきだろう。

本田翁は、『神武紀に顕斎と曰(イエ)る有り、是也。顕斎有れば、則ち幽斎有ることと知る可し。故に顕斎にして幽斎ならざるは非也。幽斎にして顕斎ならざるも亦非也。』、『幽斎は神殿有る無く。へい幣帛有る無く、祭文有る無し。霊を以て霊に対する耳(ノミ)。』という。

幽斎はあくまで「霊を以て霊に対する」を基本とする。どんなに儀式が立派でも、神界に通じていなければ、祭祀は形骸化してしまう。