戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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『昭和四十五年八月二十五日、私共は筑前宗像大社に参りました。御承知の様に宗像大社は沖津宮、中津宮、辺津宮と三社に分れて居りまして、かねて辺津官に於て幽斎を行うべき詔命を受けて居りまして、種々折衝を重ねまして当局の了解を得た次第でしたが、丁度その頃は辺津宮が大修築の進行中でありまして、到底御神殿の大前では執り行うことが出来ない状態でありました。そこで現在の辺津宮の鎮まります前に御祭祀を行われたという後方の山の中程にあります磐境に於て奉仕いたすことになりました。この磐境は高宮と申しまして、今日でも辺津宮の大祭に先立って、早朝奉仕の全神職が祭儀を奉仕する聖域であります。磐境の斎場の外には小さな建物が一つあるだけでした。之は元伊勢神官の衛士詰所であったものをいたゞいて控えの建物に使用して居ります。そこの二間で更衣することに致しました。こゝからは中津官、沖津宮、が一線上にありまして、樹木に蓋われた山上の聖域であることがヒシヒシと感ぜられます。』(「一本の道」)