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大和心

第765回 大祓祝詞を考える―84

著者:小山一夫 / 公開日:2025-03-02

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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『翁は、この講の最後で大祓の眼日、精神を、次のように述べています。

我々は神の分霊分魂でありますから、万一間違ひを起した時には、再び神の魂に還らなければなりません。丁度白玉が泥中にまみれる事があつても、之を洗ひ去れば、再び元の白玉に返る如きでありまして、之が大祓の眼目であり、精神であります。

この祓え観は、本居宣長が穢れや凶事は黄泉の国から発生したのだから、再び黄泉の国へ返すのが祓えの眼目である、とした神学とは、大きく異なります』。

これは本田霊学の考え方に近い。ただ問題は神の元に行けるかどうか、だ。本田霊学では、まず皇法を学ぶことで、考え方を改め、浄心を心掛ける。其れと共に帰神(他感法)の稽古によって、神の力で霊魂を清めて頂く。しかる後に、鎮魂と帰神により神界に触れることで、さらなる霊的な浄化をはかる。その間に、鎮魂力が磨かれ、霊肉分離の境地に至るだろう。自在に神人合一ができるようになり、神界のお許しが出れば、審神者の資格を授けて頂けるかもしれない。そうなれば、自らを神籬として祓いの神事を行うことが可能になる。

「大祓の大精神は、宇宙万有悉く美化して行かねばならぬといふ所にある」(小泉定助氏)

「美化」という言葉には同意しかねるが、大祓の精神が神道の基本であることは間違いないだろう。