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大和心

第784回 本田霊学の継承 戦後編-38

著者:小山一夫 / 公開日:2025-03-19

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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神仏判然令によって仏教から解放された神道は、次に国教化を目指して理論的な整理が始まるが、仏教の様な確たる教義や経典のない神道は混迷を深める。

宣長の伊勢神宮(天照大御神)重視の神道観、篤胤の出雲大社(大国主神)重視の神道観の対立は、最終的に明治天皇の勅裁を仰ぐことになるが、そこで前者が勝利したことで、神道の国教化ができなかったという説がある。つまり前者をとった場合、神に繋がる天皇の万世一系の権威は守れても、死後の世界をどう考えるか、という課題の答えを出せなかったのである。

もともと死後の世界については、本居宣長も明確な答えを示せなかった。神道においては、死を穢れの最たるものとして忌避する伝統があったため、人間の死後の世界について深い考察がされてこなかった。それが故に、神道がいわゆる「宗教」になり切れなかったわけだ。

葬祭については、現在神葬祭が用意されているが、檀家制度に支配されている日本では一般的ではない。皇室の葬儀についても、徳川時代までは長らく仏教様式で行われたため、明治になってから議論が沸騰した。仏教側としては、過去の経緯から仏式での葬儀を主張し、それを支持する皇族も少なくなかった。皇族に信教の自由があるのかないのか、その議論が盛んに行われたという。

明治に入ってから神祇官制度についての混乱など、さまざまな問題が、尊皇思想を歪めていくことになり、それに伴って皇学、皇道、国学も本来の輝きを失ってゆく。結局は、天皇の権威や尊皇思想も、過去同様に政治的な権力闘争の道具として使われてしまうことになる。