戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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『要すれば、神に接する度合が、度重なる内、かゝる結果になると佐藤先生のお教えでもあった。本田翁は、記紀に存する所の鎮魂法、帰神術を中興された方、長沢翁は、これを世に問い多くの有名な門下を輩出させ、佐藤先生は、これを継がれて、全国の旧官幣、国幣社又は旧国名の一の宮等に於いて、公式・正式幽斎をもって、国の大祓、又その神社或いはその地域の大祓を実 施された。この三翁が行ったのを視ると、形式の点では、如何にも相違のある如く感じられるが、この根本精神は微塵の変化もなく、一系につながる一本の大木にも似ている。我々凡夫は、祖先から我、而して子孫へと、真道間対にもある「子承孫継」の如く、体的には継承する。前三翁は肉身の系累はすくないが、幽の意味ではその精神は永遠に続くものと、深く深く確信している。
あまり先のない私の念願は、幽の継承たる本田霊学という大木の一葉にもなりたい念願である。佐藤先生に、教えて頂いた事は、数限りないが、当座思い付いたものを書きとめ、心から先生の偉業に対し敬慕の念を禁じ得ない。
「かくり世の 神顕わせし 師のいさお みあと慕いて 今日も行くらむ」 』(「佐藤卿彦先生遺稿遺影集」)
筆者の修行時代、大久保翁から4冊のノートを渡された(以下、大久保ノート)。それは大久保翁が佐藤先生に初めて会われた日からの修業記録である。その時、「誰にも見せないように」と念を押されたが、読み進むうちに、その理由がわかった。まず審神者以外に読ませるのは適切ではないという部分、複数の方々の個人情報や、大久保翁の率直な感想や見解が書かれていたからだ。(大久保翁亡き後、筆者は翁の意思に反して横山信行氏にコピーを渡してしまった)