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大和心

第812回 本田親徳翁 産土神徳講義-3(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2025-04-12

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

であるのに、人々は[それらを]偶然[に手に入った]かのように思いなして、その上、その[=産土神からの]御恩を感謝する気持ちもなく、その稲を食べ、その錦を身に着け、かたくなまでに[この事実を]悟ろうとしない。ただただ、その[=人々の]信ずるところと言えば、『ここの観音に[祈り]頼んだところ目が開き、あの場所の地蔵に[祈り]頼んだところイボが落ちた』などと言うような小さなご利益ばかりに惑わされて、[産土神を]かえりみることなく、草むらの間に倒れて[=死んで]後悔することもない[というように]、実に私が見るに忍びがたい有様[である]。

このように言うと、私が[神道を信奉する]神官であるが故に、自分の田に水を引こうとしているように[=我田引水を試みているように]思われる人々がいるかもしれないが、まったくそういった卑劣な意味ではなくて、天地の本当の理合い[=道理]というものは、日本ばかりでなく、中国もインドもその他の各外国もみな『もっともだ』と言うべき[ものこそ]が本当の道理なのである。先祖代々のことは、はるか上代[※日本史上の時代区分のひとつ。一般的には古代のうちで日本の文献が残されている時代、すなわち飛鳥時代後期(白鳳時代)から奈良時代を指すが、単に奈良時代以前を指す場合もある。]のことであって、明瞭に知ることができない事柄ばかりであるが、現在、親に孝行をし、子孫を愛しみ育てるなど、[今この]瞬間もみな、その産土神の恩頼(みたまのふゆ)[=神や天皇などから受ける恩徳]を受けなければ、[家族、一族を]養育[する]生活ができない[という]わけなのである。