本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。
(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)

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産土神徳講義(上)
(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。
<考察/筆者>
神人合一に際しては、鎮魂と帰神の両方が具体的な修行方法になるが、ここでは単に直霊の顧みる働きと浄心の大切さを説明しているのだと思う。後段の「ますますその産土神を尊崇し、その魂を磨き上げ」という部分は、敬神と浄心という心の持ち方だけではなく、法術の大切さが暗示されている。
『親徳は「拱手」を「手を胸に当て」としか表現していないが、『漢語林』によると「拱」の字義として「両手を胸の前で重ね合わせること」とあり、また熟語としての「拱手」は「①両手を胸の前で重ね合わせて敬礼する。②手をつかねたままで何もしないさま。」とある』(「本田霊学:その思想の創造と行法の受容についての研究」並木英子著)
本田霊学では、この組み方を叉手と呼んでいる。左手の親指を右手指で軽く握り持つようにして右手の上に左手の4指を重ねる。置く位置はほぼ丹田の辺り。「手を胸に当てて」とあるのは、心を顧みての意であり、実際の手の位置ではない。これは鎮魂法ではなく、浄心と心を鎮めることを意図している。