戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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『私が二十三、四才の頃、東京向島の白髪神社 (祭神猿田彦大神)に、何の目的もなしに、ふと参拝をしたくなり百日間継続した事がある。確か七月始め頃からと思うが、当時の向島と言う所は、草深い地で祈願中でも藪蚊が遠慮会釈なく、身体のあちこちをさすので悲鳴をあげたのを憶えている。
三日位経過した折、偶々、社司の方にお逢いし昇殿参拝の許可を受け継続した訳である。
大祓祝詞を十回、仲々時間もかゝるし、板の間へ一時間以上座るので、足はしびれるし、天候の悪い時などは正直な所嫌な事があった。まあ若さの為か、一旦志した以上、中止は遺憾と継続した。もう秋口に入った頃、夕闇の迫った九十七、八日目の事、例の如く祓詞を奏上した瞬間、何百ボルトの電流を流された様なすざましい神気に打たれ、身体中の感覚が一切消滅、勿論声も出ず、唯自分の霊魂だけが空中に抜け、空の一角に神明造りの御社の前に座り、お扉がギーと音を立てヽ開いた瞬間、はっと我に還った。』(「佐藤卿彦先生遺稿遺影集」)
大久保ノートによれば、42年4月23日氷川神社での稽古の際に、
「本日の稽古は大分状態よく、二度程頭上より腹辺り迄火柱下りたる感じあり、終了後甚だ感じよし。この事につき後日佐藤先生に便りをもってお伺いの所、我の遠祖、八幡大神を信仰し、この遠祖の御霊の活きが現れて、我が体には憑らぬが八幡大神の御眷属(中級)現れて体をならされた旨解答あり。」とある。
電流とか火柱という表現が出てくるが、大久保翁はその時に肉体感覚が消失し、霊肉分離し神界に入られた。このような場合、意識は判然としているものである。夢うつつというわけではなく、実にリアルな印象がある。
佐藤先生は伊勢大審神者なので、非常に広範にまた時間を超越してお調べになるが、このレベルの審神者は稀有であることを付け加えておきたい。