「八十神の 残せし道かも 西戎国(からくに)の 耶蘇(やそ)が教えの 曲がれる見れば」=「八十禍津日神が残した道なのだな。
外国のキリストの教えが曲がっているのを見ると」※一般的には、西戎(せいじゅう)は、青海・甘粛地域に住んだトルコ族・チベット族。
または広く西域の住民をも含めた語。
転じて、西方の異民族の称。
西方のえびす。
秦以降、中国西部に住んでいた遊牧民族で、たびたび中国の歴代王朝に侵入して略奪を行ったことから、西戎という言葉に蔑んだ意味合いを込めている。
また、日本では、広く、野蛮人、朝敵をもいう。
]の妄説を唱え、衣は本朝[=日本]の神が発明しなさった錦の類をきれぎれに切断して、これを『袈裟(けさ)』と称して、その外の道具も何もかも、経文も木魚も鏡も半鐘(はんしょう)も錫杖(しゃくじょう)も擂盆(らいぼん)[=擂鉢(すりばち)]も、みな我が産土神の賜物、産土神の神子[=産土神の産みし人々 ※「道之大原」において、「神子、善心を治むれば、大精神之に霊魂を与え。
神子、良行を乱せば大精神霊魄を奪ふ。
其の与奪の速やかなること影の形に従ふが如し。
豈に畏れざるべけんや大精神。」
とあり、ここでは神子=人間の意味]から頂戴しておきながら、その恩徳を忘れ、『仏を尊ぶべし』、『仏を尊ぶべし』と、大根も野菜も仏を肥やしにし[て育っ]たかのように、坊主頭を振り立て、老婆や嫁を[=老人や女を]騙し込み、ついには、八兵衛も権兵衛も[=誰もかれも]『お寺様は尊いものだ』と、即身成仏した気になって騒いでいるというのは、気違いとも愚朦(ぐもう)[=おろかで道理がわからないこと]とも言いようがない有様である。
気の毒ながら言うが、平民の『民』の字の上に『愚』の字が付く[※愚民のこと]が、『賢』の字は付かない[※賢民のこと]。
これ[=上記のひどい有様]を眺めてみると、みな、産土神の恩徳がある理由を知らない[からである]。
これ[=上記のひどい有様]がもとになってついには冠を下駄として履き、靴を笠としてかぶったような姿になってしまうのは、[※ちぐはぐでへんてこな有様となってしまうのは、という意味]『自らが求めて自らが得た』という因果応報なのである。
決して腹は立てられまい。