本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。
(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)

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産土神徳講義(上)
(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。
<考察/筆者>
産土神を通して人間は霊魂を頂き、死すときはその逆の道を進むわけだが、いつ生まれるか、いつ死ぬかは、産土神の所轄ではないということ。産土神は通り道ではあっても、生死を差配するものではない。
死後の世界をどう説明するか、それは本居宣長や平田篤胤もかなり頭を悩ました難題だった。明治政府は維新の原動力となった尊皇思想を確かなものとする為に、当初神道を復古させ国教化を図ったが、篤胤の思想に寄る場合、出雲の神(大国主神)を重視することになり、皇室の祖先神として国教化する上で最高の権威としたい伊勢の神(天照大御神)との関係性をどう取るかで大論争になった。出雲側は伊勢皇大神宮と同格にすることを望んだが、最終的に明治天皇の勅裁で伊勢に軍配が上がった。
しかしながら死後の世界について確たる結論を得られなかったことで、結果的に神道の国教化も実現せず、神祇官制度も廃止されることになる。死後の世界を明らかにできなかったために「神道は宗教ではない」とし、憲法の信教の自由に関わりない位置に神道を置くことになった。