戦後の本田霊学の継承に関する考察は、まず佐藤卿彦先生の紹介、そして佐藤先生の弟子達について、特に大久保藤男翁、横山信行氏、渡辺勝義氏を中心に、皇法の伝承、鎮魂法、帰神術をテーマに考察する。その後、佐藤先生と鈴木重道氏の著書等を参考として、佐藤先生による公式・正式幽斎の偉業を振り返りたい。

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『帰幽された日は、千葉市幕張の横山節男氏宅の地鎮祭で、私も呼ばれ参加した。終了後直会に入り、先生を中心に例の如く霊談話をしていた所、夜の九時半頃電話があり、仝教授の訃報であった。先生は大部酪酔しておられ、私に出てくれとの事で状況を説明した。
仝教授は、藤原氏の後胤で、確か醍醐天皇の第二王子から発しており、遠祖の高い方であった。その後、先生が執行された五十日祭迄御本人は、ほとんど睡っている状態だった相で、祭祀後始めて、神界に入られた事に気付かれた由である。以後先生のお教えを簡略すれば、出生地の産土神、足立の氷川神社、京都の八坂神社、最後は奈良の春日神社、各六十日の経過があった由、之などは先生の御祈願なさった力が多い為であろう。思うに、この世で肉体をもって、生きた間の魄の汚穢れを祓い、御眷属となる為の修業期間であったのだろう。誰もがこの様な経過とは言えないが、参考として掲げた次第である。
仝年十一月三日教授の霊魂が明治神宮の祭典に、春日神社の御使いとして参加した帰途、先生宅へ立寄られたとも聞いた。この話しが、どの様な経路で教授夫人の耳に入ったか知らぬが、「何だメッセンジャーボーイか」と言われたそうで、先生も苦笑されていた。この教授の神界に入っての計百八十日間が、地球の緯度の百八十度、本田翁 の神界百八十一界が妙に符合し、先生はこの点についての研究もされ、承知されていたと思われる。』(「佐藤卿彦先生遺稿遺影集」)
高窪教授は公式・正式幽斎の実現に向けて尽力された方であり、その意味では神界に入られても不思議はない。大久保ノートにたびたび登場する方だが、佐藤先生にも信頼されていた。