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大和心

第850回 本田霊学の継承 戦後編-74(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2025-05-09

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

入門した頃は、他感法の神主として、審神者から神霊を、かけて頂くお稽古を受けるが、漸次体を切るに従って、一柱の御眷属として誕生するものである。個人差はあるが、霊魂の浄らかな人は早く、種々な事をやられて来た方は、過去のものを一切祓い切る迄は相当の年月を要するものである。この体を切る迄の遅速は、あまり重要ではない。あく迄もこれをやりとげる精神、努力が最も肝要であろう。体を切る様になって、種々の答を出す様になっても、審神者の目から視ると、当初は神主自身の考え方が殆どである。漸次数を重ねるに従って、神主自身の考えと思われる中に、お憑り御眷属の言わしめているものが徐々に増え、「一種の冴え」とでも申そうか、審神者と御眷属との霊の交流、或は奇魂の交流が出来得るものである。』(「佐藤卿彦先生遺稿遺影集」)

筆者はよく神憑り率という表現を使うが、言い換えると帰神の深さの尺度のこと。初心者の内は概ね5~10%程度だと思うが、普通眷属から中等、高等と進むにつれて、段々深くなっていく。大久保翁はかつて公式幽斎に際して大神の帰神があったという。その時は恐らく100%近かったに違いない。御神霊のお答えをほとんど覚えていなかったそうだ。

これについては別稿「鎮魂法と帰神術」で詳解するつもりだ。