本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。
(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)

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産土神徳講義(上)
(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。
講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。
<本文>
さて、その次に、たった今言ったように、日々、『我が体の不浄はどれほどなのだろう』と思って、悪い事があればこれを避け、悪いことがあった[場合]にはこれを棄て、悪い事があるようならばこれを拒み、悪い汚れはこれを洗い、このように薬・避・棄・拒・洗等の五法をもって、朝に夕に忘れることなく、子供と言えども、これを丁寧に教え続けていけば、ついには[上述した]病が[平癒する]ような[理想的な]有様になって、みな、良いことを言い、善い行いをなし、修身[=身を修めて、善を行なうよう努めること]の基盤となるのである。これもまた、産土神[に対する]尊崇の一点から生まれて、このように無量、無限の快楽の身となる[ことへとつながっていく]のである。
今日では[※ここでは講義のなされた明治時代のこと]、[身分家柄で決まっていた江戸時代までの社会と異なって、]人の才能をもって登用なさることになるわけであって、古のように霊魂と身体とを神にかけて清浄潔白にして、人事[=人の世の事柄]に務め学んだ[人]は、農家の子であっても、商家の子であっても、高くて尊い百敷[=宮中。
内裏。
皇居。
]の雲の上に召し出され、太政大臣(だいじょうだいじん)[=明治4 (1871) 年7月 29日の官制改革により,政治の最高機関となった正院を司るために設けられた官職。