本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。
(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)

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産土神徳講義(上)
(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。
講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。
<本文>
また、右の通り行っても、才能があっても、徳義[=人として守るべき道徳上の義務。
ここでは徳義心の意味]があっても、農民は溝渠(こうきょ)[=田畑の用水路]に倒れ、市民は小さな店で死んで、戸長[=明治前期、地方行政区画の区や町村の行政事務をつかさどった役人。
明治5年(1872)の大区・小区制下では小区の長として置かれ、従来の庄屋・名主などから選ばれた。
明治22(1889)年町村制施行により廃止。
今の町・村長にあたる。
]を一度も勤めることのない者もいる。
この現世の幸福がない者であっても、死んで[から]霊魂は比類なき神霊となり、産土神に召し連れられて国魂の裁きを受け、国魂の神から天日巣ノ宮(あめのひすのみや)[※日本書紀では「天日隅宮」、出雲国風土記では「天日栖宮」]、すなわち、いわゆる出雲[=島根県出雲市]の杵築(きつき)の大社[※出雲大社(いずもおおやしろ)。
日本書紀では天日隅宮(あめのひすみのみや)。