本田親徳翁の「産土神徳講義」について考察したいと思います。
(現代語訳と本文中の注は西原壮聡氏、「考察」部分は筆者)

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産土神徳講義(下)
(注)本田親徳(ほんだちかあつ)による産土神(うぶすながみ)の働きについての解説講義録。講義の年代、場所は不明。北海道明治神社宮司・鈴木重道氏によれば、産土百首が完成した明治18(1885)年頃、静岡県三島大社において地元の氏子に対しておこなわれた講義録ではないか、とのことである。
<本文>
昨日も[※産土神徳講義(上)参照]、説明した大倭豊秋津根別という国魂の支配する山陰[道]・山陽[道]・東海[道]・東山[道]北陸[道]・南海[道]等[※古代日本の律令制における広域地方行政区画である五畿七道の区分。
]の諸国は、国名は分かれたけれども、長州[=山口県西部]下関から東北まで一続きであって、一国の国魂は皆、この神[=大倭豊秋津根別]の分魂、分体でいらっしゃって、また各郡、各村の産土神はまた、その小分子でいらっしゃって、その地の経度、緯度とその地の地質に従って、種々変化があることによって、その程度に従って、[産土神はその地を]守り幸いなさるが故に、五穀[=米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・豆][の収穫]はその地[の特性]に応じる[し]、何もかも[について]各村、各里ごとに皆、各々良し悪しの変化[、違い]があるのである。
言うまでもなく、一国ごとに風俗や言語[など]あらゆることの慣習がそれぞれ別なものとして異なっているのは、実に驚きを禁じえない。