[訳] 東国で養育されている子どもはなまって物を言ったことだ。
なお、拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)の書名は『古今和歌集(こきんわかしゅう)』や『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』で選び残された歌を拾う集の意。
撰者や成立の事情は明確でない。
退位後の花山法皇(かざんほうおう)の発意により,藤原公任 (きんとう) の私撰集『拾遺抄(しゅういしょう)』を基にして,側近の歌人とともに増補を重ねて完成したものらしい。
成立は寛弘3 (1006) 年前後か]と歌ったように、聞くに堪えない[なまった]言葉が、首尾[=始めと終わり]、内外、貴賤、尊卑[ごと]に分かれている、[※ここでは、さまざまな事情で分かれている、の意味]というのは、正しい[事実の]ようであるが、武家の方言に照らし合わせて比べてみると、[東京の下流社会の方言は]何となく商家の雰囲気が現れており爽やか[な響き]ではない。
同じ東京においてでさえもこのような[有様である]。
そうではあるが[=そのように細かな違いはあるものの]、上は貴族から下は車夫に至るまで、東京生まれの人は自然に東京の[発]音になる。
小田原の人は小田原の[発]音になる。
熊谷[の人]は、熊谷の[発]音になる。
その出身地の発音はなかなか変化することがむずかしいものである。
そういうことなので、国魂の神の御政事(おまつりごと)[=御支配]というものはいたって細かく[丁寧で]あり、いい加減でぞんざいなものではない[のである]。
だから、私[たち]が住む大倭豊秋津根別の国の他に14の島があり、みな、その一国一国に変化[や違い]がある[という事実]に乗っ取った上で理解しなければならない。