本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『第二編 祭事編、顕・幽の区別
祭事(まつりごと)に顕斎(祭)と幽斎(祭)の二形式がある。顕斎は誰しも知るところであるが、「幽斎」となると全く知らぬ人が多い。神法の根元とする処はこの幽斎にあるのである。
第一章 顕 斎
顕斎とは祭儀上の一式典で、これを古典の上に最も明らかに知る事の出来るのは、古事記の岩戸神楽の条である。即ち、天照大御神、弟神素盞嗚命の暴状をにくませ給いて、天岩屋(天石屋戸)に幽居(こも)りませし時、天の下常闇(とこやみ)となり、八百万神々天の安之河原に神集い集い給いて、大御神を慰さめ出だし奉る方法を議し給いました。
ここに思兼神の御建言により祭具の製作に取かかられ、伊斯許理度売(いもこりどめ)命は御鏡を、玉祖命は八尺勾玉を作りたまいて祭事を執り行はせられた事は、誰もよく知ることであろう。之れが即ち顕斎である。