本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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本田霊学の目的
本田霊学とは何か、この点について本田親徳翁、長沢雄楯翁、佐藤卿彦翁は、次のように述べている。まず本田翁が幽斎の法の復興を志した経緯についてだが、次のように「神伝秘書」と「難古事記」に書かれている。
『神界ニ感合スルノ道ハ至尊至貴、濫ニ語ル可キ者ニ非ズ。吾朝古典往々其実績ヲ載スト雖モ、中世祭祀ノ道衰へ其術ヲ失フ既二久シ。神法ニ依リ其古ニ復ス。是即チ玄理ノ窮極、皇祖ノ以テ皇孫ニ伝ヘシ治国ノ大本ニシテ祭祀ノ薀奥ナリ。』(「本田親徳全集」)
『此ノ神懸ノコト本居平田ヲ始メ名ダタル先生達モ明ラメ得ラレザリシ故二、古事記伝、古史伝トモニ其ノ説々皆誤レリ。親徳拾八歳皇史ヲ拝読シ、此ノ神法ノ今時二廃絶シタルヲ慨歎シ、岩窟二求メ草庵二尋ネ、終二三拾五歳ニシテ神懸三十六法アルコトヲ覚悟り、夫レヨリ幽冥二正シ現事二徴シ、古事記日本紀ノ真奥ヲ知り、古先達ノ説々悉ク皆謬解タルヲ知り弁ヘタリキ。』(「難古事記」巻六)
この幽斎の法は、「玄理ノ窮極、皇祖ノ以テ皇孫ニ伝ヘシ治国ノ大本ニシテ祭祀ノ薀奥ナリ」とある。本来は記紀にあるように、天皇或いは皇后等が中心となって行われるものであったが、仏教伝来などにより、神仏習合を背景にして次第に疎かになっていった。特にキリスト教対策で仏教による檀家制度が政策として進められるに至って、神道はより純粋性を失ってゆく。
その後、幕末に国学が盛んになるにつれ、神道は再び脚光を浴びるようになる。そのような変革の時代を背景として、本田翁は「幽斎の法」の復興に取り組んでゆく。