此神憑り百首は長澤翁が審神者、相州雨降山麓大山神社武栄太夫宮司が神主を務められ昭和元年より昭和四年迄の間に神憑りして得られた神歌であり、昭和九年春に武氏が発刊したものであります。(「顕神本田霊学幽斎記録篇」佐藤卿彦述)

神懸百首より
審神者長沢雄楯翁。 神主武栄太夫(大山神社官司)
(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)
四 神術を 習ひ得てこそ 後の世の 魂の行くへも 知り得へきなれ
後の世=将来・未来・後世・死後。
解、神術を習い己のものになってしまえば、後の世の霊魂の行く方も良く知ることが 出来る。
゛道之大原゛大精神なる者は、無声に聴き、無形に視る、故に既往を知り、未然に察す。大精神は此の至霊を以て神子に資ふ。神子尊奉して寛に至徳を成す。是 れ治心の本にして、修身の要なり。
大精神(神)は総ゆる事を無声に聴きとり、無形に視られる。顕界の様に、形や色を以て物を判じたり、声や音に依ってその性情を聴きとったりはしない。顕界に於いては、形や色の生活より離れる事は出来得ない。
神界に於いては顕界とは全然次元が異なり、時間(何百何千年)空間を超越した世界である。神界に於いては時間的に見るとすると、何万何千年は瞬時の内である。兎角、我々は、人間的に体的に神界の様想を解釈しがちで有る為に、幽冥界の組織と御活動に就いて、その奇霊なる状態、有様を察する事の出来得ないもので有る。
神界に於いて既往(過去)を知り、未然(これより起る事・未来)の事柄を察するは当然の事で有ろう。
牣、我々が修する鎮魂、帰神の神術は、対(堪)えず専修して行けば、念々其の堂に入る (達する)と種々な事柄を、無声に聞き、無形に視て、既往を知り未然を察するの境地に至るので有る。