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大和心

第939回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-31(2/2)

著者:小山一夫 / 公開日:2025-07-16

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

袋草紙(見人魄歌(ミトダマケイルウタ))=たまは見つぬしは誰とは知らねども 結

びとどめよ下がひのつま

古 歌=たもしひのかようあたりにあらずとも むすびさせまし下がひのつま

古 歌=あてがるる我魂もかへりなむ 思ふあたりにむすびとどめよ

鎮魂は人の奥底に鎮まっている霊魂がその本源である神霊に感合することにあって、その事に依って祓い浄められ、人の心身が浄化されて神界に通ずる事にある。古来世界の殆んどの宗教と申すものが、神霊に接する為の精神統一法の如きもので心身鍛錬法を行って来ている。キリスト教のミサ、仏教の坐禪、ヨガの行法その他の修法も、皆その例と見て良いと思う。

吾が国の上古に於いては、大は治国平天下の問題より小は人事の末に至るまで、霊妙な鎮魂法の活用によって解決したものであり、下々の者に至るまで、其の方法を心得て居たものらしく思われる。

万葉集の中に名も無いような娘の恋歌に,

「たましひはあしたタベにたまふれど

わが胸いたし恋のしげきに」とある。

たまふれど、とは鎮魂の事である。

各古大社には鎮魂とは云わなくとも鎮魂に通ずる法が有ったものと思われる。』(「顕神本田霊学法典」)