令義解では[こう]言っている。『人の陽気を“魂”と言う。“鎮”は安定させることである。その[=鎮魂という語の]意味は、離遊する運魂を招いて身体の中府[=みぞおち周辺]に留めることである。これを鎮魂と言う』とある。天照大御神が玉・鏡・劔に御心[=魂]をお憑けになるのも、離遊する運魂を招いて身体の中府[=みぞおち周辺]に留めるのも、自他の違いがあるだけであって、その霊魂が寄り憑くという意味において同じ意味である。そのため、この鎮魂の法は二祖の神 [=伊邪那岐命・伊邪那美命]が天照大御神にお伝えになって、天照大御神から邇邇芸命にお授けになって、ここに至って完成したのだ、ということができる。(この鎮魂の条に[おいては、]魂が寄り憑く所に自分かそれ以外かという違いがある。今私が言っている[魂を寄り憑かせる行為]は、鎮魂のみを言っている訳ではない。神界、妖魔界の寄り憑く集団が善悪に分かれているとはいっても、全てここの文で[書かれている][法]則から外れることはない。後世[の人間]はこのことを心に留めておかなければならない。)