本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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鎮魂の「法」としての原理は、ここに整理されているわけだが、これを正確に理解しなければ、本田霊学の鎮魂法について語ることは出来ないだろう。
ここで特に重要なのは、次の文章である。
① 「自他ノ違ヒアルノミニテ、其ノ霊魂ノ憑付ク処同義ナルモノナリ」
② 「魂ノ憑リ付ク処ニ自他ノ差アリ」
ここでいう「自他の違い」と「自他の差」とはどういう意味なのだろうか。前者は、天照大御神の話と「令義解」の記述をそれぞれ指しているが、「自」と「他」とは何なのだろうか。
鎮魂が、「みたましずめ」と「みたまふり」の二つの要素を併せ持つのは先に述べた通り。従って、鎮魂法を考える時は、この二つの側面から検討する必要がある。
最初に「みたましずめ」から考えたい。ここでの主体は神である。なぜなら、鎮魂法の「法」とは神の法則だからだ。つまり神から見た自他ということ。ならば「自」とは神御自身、「他」とは神以外に一霊四魂を有することから人間を意味する。
次に神から見ての法則の「自」「他」は、「自」は自ら分魂が鎮まるの意(例示では「御首玉」。霊線で繋がっているところに鎮まる)。「他」とは人間の身体の中府にあたり、これも肉体と霊魂を繋ぐ魂の緒(霊線)の元に当たる。そこへ離遊の運魂(吾霊)が鎮まる。
これらは共に、自らの霊魂を安定させるという「法」たる由縁である。