本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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鎮魂法とはそもそも「幽斎の法」なのだが、祭祀としての宮中鎮魂祭は、当初から顕斎鎮魂として行われている。その理由はいろいろあるだろう。ただ幽界に働きかける力があるかと言えば甚だ疑問だ。故に天皇の権威を高めるなど顕斎としての政治的背景が窺える。しかしながら、少しでも実行力を持たせようとの意思が働いたのか、或いは神意なのか、宮中鎮魂祭の祭祀内容は幽斎の原理を暗示するようなものになり、宮中鎮魂祭と翌日の新嘗祭・大嘗祭を連続して行う事で、天岩戸神話と天孫降臨神話を模して、天皇の受霊を促すようなものになったのだと思う。
天皇の霊力は、鎮魂の器械である三種の神器と「床を同じくし殿を共に」することにより、日々鎮魂法をしているのと同じ霊的な働きかけを受けている。その意味では宮中鎮魂祭は必要なかったのかもしれないが、顕幽の両面からという考えもあったのだろう。
鎮魂法は帰神術を実行する上で必要不可欠の「法」だが、「幽斎の法」が本来天皇家とその側近達で行われるものであったため、仏教伝来後から本田翁が復活させるまで世に知られることはなかった。故に、鎮魂とは何か、鎮魂法の原理とはどのようなものか等々、議論が尽きなかったのだろう。なぜならどのような文献を見ても正解が書かれていないのだから当然だ。
本来の鎮魂法とは、①幽斎の法であること、②神人合一・融合を目的とするもの、であることが前提となる。従って天皇による三種の神器の鎮魂法は、それらの条件を満たしているものと言えよう。