本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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ヨーガを学んでいる時に、しばしば耳にする「アートマン」という言葉だが、これは通常「真我」と訳されている。人間の「本質」として、肉体や心と区別された存在の事だ。また、同じく真我と訳されるものに「プルシャ」があるが、アートマンはプルシャを構成する5つの要素の一つとされている。
つまり日本的には、アートマン=霊、プルシャ=霊魂と解釈できよう。特に本田霊学では、霊魂をさらに一霊(直霊)と四魂(荒魂、幸魂、奇魂、和魂)に分けて説明しているが、この5分類する考え方はウパニシャッドでも採用されている。時代と地域を超えて、この5要素の輝きが、白、赤、黄、緑、青である点まで共通しているとは驚きだ。
ウパニシャッドでは、この個人の真我(霊魂)を、宇宙の最高原理である神我に合一・融合させること、つまりサマディ(三昧)を目標としている。これはヨーガに限らず、原始仏教でも同様だ。その手段として、能動態(真我を肉体から分離させサマディに入る)と受動態(師の傍らに坐り合一することでサマディに入る)の2方法を説いている。その一例をあげると、カタ・ウパニシャッドでは「心臓の脈管は百と一ある。そのうちの一つは頭頂へと走っている。(アートマンは)それによって上方におもむき、(頭頂の孔〈ブラフマランドラ〉から身体を抜け出して)不死に到達する。」(「世界の名著」中央公論社)とある。だが、これはウパニシャッドだけではない。
原始仏教の立場として中村元先生は、「初期の仏教においては、著しくウパニシャッドの哲学に類似した思想を説いている」、「仏教の修行そのものを『アートマンに関する、真実無上の、ブラフマンに赴く車乗』と呼んでいる。」(「自我と無我」中村元編)とする。少なくとも原始仏教は、神人合一をそのゴールとしていたわけだ。そしてそれは釈迦仏教に近い距離にある禅にもみられる。