本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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『天照大御神の石戸隠れの原因は、大神の御魂が遊離したからではなく、記紀にもそうした記載は見られない。また、魂の遊離のために大神が衰弱した((54))とか、死んだというような記載はなく、そうした状況とは思われないである。』(「古神道の秘儀」)
大神の御魂が遊離するとはどうなることなのだろう。
そもそも大神は遊離する肉体を持っていない。
記紀に記載がないのも当然だろう。
渡部氏は、『本田霊学では、人間の心を霊魂に帰属させずに肉体に属するもの、即ち魄に属するものと解している』というが、それは誤り。本田霊学では魄を二つに大別している。それは有形の魄と無形の魄だ。
有形の魄は肉体だが、無形の魄は肉体そのものではなく想念。後者は肉体を離れて存在する場合もあるので、事はそんなに単純ではない。「道の大原」や「真道問対」を読めば、一霊四魂の働きと心との関係がわかるはずだ。