本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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一切の妄想を除去するのは、実に困難なことで直ぐにできるものではない。ただ雑念に振り回されていたら、とても鎮魂法はできないし、帰神術を行っても深い神懸など不可能なので、まず努力目標としてその方向に向かってゆこうという意志を持つべきだ。そうでなければ、いつまでも進歩はないだろう。
やり方としては、まず集中をしないこと。勿論最初に「ムスビ」をつくってから『石に向って「吾が霊魂が鎮魂石に鎮まる」と云う、強い思念を四、五回送る』必要はある。だが、その後はそのような思念を送り続けることはしない。(坐っている間に妄想が高まってきたら、再度この思念を送ることは許される。)身体の中府と鎮魂印と鎮魂石が繋がっているという「ムスビ」の感触に、存在の全てを委ねる。この「委ねる」ことで、「集中」が「観察」を経て「観照」へと向かうのだ。この「観照」の段階に入ると、妄想の除去が始まる。
鎮魂法を修していれば、徐々に目標に近づいてゆく感触が解るはずだ。そして一切の妄想が除去された瞬間がふと訪れることがある。それが意識せずに、回数が増え、間隔が短くなってゆく。そのようにして、その境地が安定してくれば、真の鎮魂法、帰神術ができるようになってゆく。
出口氏のように「肉体が在る限りは無理」だと決めつけるのではなく、どうすればできるかと研究しなければ、何も始まらないだろう。最初から諦めていたら、スタートラインにも立てない。