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大和心

第1034回 本田霊学の鎮魂法と帰神術について-96

著者:小山一夫 / 公開日:2025-10-17

掲載準備版・未公開。公開日は元ブログの投稿日です。

本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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④ 『心神を澄清にし感触のために擾れざるを務む可しと云ふ事が、一つの条目となつて居りますが、是は要するに大聖人か君子にして、始めて出来る事であって、普通一般の人にはダメであり、不可能である。心神を澄清にする為の鎮魂であり、帰神である以上は、最早、神心を澄清にし感触の為に擾れざる様に神力が出来たなれば、それで完全したものである。』(「大本史料集成」)

出口氏はそれができれば「完全したもの」というが、それは違う。何故なら、鎮魂法は、霊肉分離による霊魂の運転活用がその主たる目標だからだ。「感覚ヲ蕩尽シ意念ヲ断滅スベシ」とか「心神ヲ澄清ニシテ感触ノ為二擾レザルフ務ムベシ」等はその前提条件ではあるが、それが鎮魂法のゴールではない。佐藤先生のように鎮魂の時に常に安定してその状態になるならば、大変素晴らしいことだが、それが簡単でないのが現実だ。

「普通一般の人にはダメであり、不可能である」とあるが、そもそも一般の人達は鎮魂石を持っていないので、鎮魂法はできない。それ故、「ダメであり、不可能」なのは当然だろう。

出口氏も長沢翁から頂いた鎮魂石を他人にあげてしまい、自身がほとんど鎮魂法を修行していないから、よくわからなかったのだと思う。本当は渡辺勝義氏のように頭を下げて、再度鎮魂石をお願いすればよかったわけだが。

「一意二吾ガ霊魂ノ天御中主大神ノ御許二到ル事ヲ黙念スペシ」

こちらは鎮魂法と帰神術の両方に必要だが、本田翁は当時、人によって鎮魂石に鎮祭する神を決めていたように思うので、天御中主大神と書かれていても不思議ではない。古事記に登場する全ての神は、天御中主大神からの分魂によって生まれているのだから。