本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。

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鎮魂法は集中に始まるが、観照に至らないと霊魂の運転活用はできない。その点について先生は次のように述べている。キーワードは「無我」である。
『然し、この思念して居る間には石に“吾霊”は鎮まっていないものである。それは何故かと云うと、思念する其のものが既に無念無想ではなくて、其処に「我(が)」が働いて居る為であり、所謂“無我”ではないからである。』(「顕神本田霊学法典」)
ここで気を付けないといけないのは、無我は必要条件ではあっても十分条件ではないということだ。それについて先生は、『此の深い統一状態に入って居る裡に、其の鎮魂力の閃めき(活動)が発揮して、此所に始めて吾霊が石に鎮まる事となる。』という。これは本田翁が書かれていることに通ずる。
「鎮魂ノ祭ハ人間霊魂ノ作用一大事件ニシテ、三種ノ神宝卜共二皇孫命二大御神ヨリ御伝授アリシモノニシテ、三種ノ神宝卜雖モ天祖ノ御霊ノ憑リツキ坐サズバ何ノ益カアラム。然レバ三種ノ神宝ハ天皇ノ御宝ノ至極上等二位スルモノト雖モ、強テ之ヲ申シ上ゲンニハ鎮魂ノ器械トモ唱ヘテ大イニ違フ処ナシト思ハル、也。」(「古事記神理解」)
「此レヨリシテ後世鎮魂ノ大本トシテ皇孫命ニ三種ノ神宝ヲ授ケ玉フ段ニ、招之玉鏡劔トアリ。是其ノ鎮魂ノ大本タル処。オギシハ招也」(「古事記神理解」)